森羅万象と夜のしじま

読書、散歩、音楽など。

破滅型私小説

明治後半から終戦前後まで私小説が一世を風靡した。空想や理想をストーリーに投影するロマン主義を否定し、自然主義の極北を行く小説群と言うべきだろうか。作者の内心を暴露するような内容は、一面で、当時の世相、我が国の経済状況を反映し陰惨な内容となることが多い。

戦後になり、小林秀雄私小説の死を宣告したり、文壇の趨勢が私小説批判に傾き、こうした作品は減ったという。読者も日常の延長線上にある内容を、文学で追体験するのを望まなかったのかも知れない。希望の時代でもあったのだ。

破滅型私小説の代表的作家である葛西善蔵の『哀しき父』、『子をつれて』などは、しかし、平成に入り長引く不況と格差の拡大を前に、放縦の果てのリアルな貧困の描写が再び説得力をもって読者に迫ってくる。無論、歓迎されるかどうかは不明であるが、今世紀に入って私小説を書く作家が相次いで登場したのも事実。

それは文学作品を単独では、評価しきれない時代背景を伴った現象であるように思われる。